チーム「Link∞UP」は日本と北米の‘愉快で有益な’「マウンテンライフ」情報を日本と英語圏において共有をすること。 その生活を‘一生懸命楽しんでいる人達’のコネクション強化を図ることを目的に活動しています。 日本や北米でのマウンテンライフについて情報の欲しい方や私達に興味のある方はお気軽にご連絡下さい。

2017年5月30日火曜日

Vol.74 春の芦別岳

こんにちは。星野です。
日も長くなり、まもなく夏至ですね。北海道はこの時期、朝は4時前には明るくなり、夜は19:00過ぎまで明るいです。サマータイムを適用して2時間後ろにずらしたら、朝は6時に明るくなり、夜は21:00時頃まで明るくなる訳です。「北海道だけサマータイムやってくれないかなぁ~」って毎年思います。カナダではサマータイムの事を「Day light saving time」と呼びます。「昼間の光を有効に使いましょう」みたいな意味なのかな?夜は電気を点けなくていい分、電力の節約になるし、朝は明るくなるのが遅ければ、明るくて目を覚ますことも無いのでゆっくり寝れます!メリットは沢山あると思いますが、沖縄の事を考えると、日本ではそう上手くはいかないのかもしれませんね。

僕はというと、この春に息子を授かり人生が少しだけうるさくなりました。これから一毅の様に「育児の鬼」と、なっていくのだろうか?さらに今年から山岳ガイド試験を受験する事になりそちらの方も気合を入れて頑張りたいと思います。

今回は最近登った芦別岳1凌です。
芦別岳は北海道では数少ない褶曲型の岩山で多くのバリエーションルートがある山です。今時期は沢がデブリで埋まっているので、雪渓の上を歩いてアプローチ出来ます。
まずは最初の難関、倒木渡り!濡れて滑りそうな倒木を恐る恐る渡ります。
そして間もなく現れるユーフレ小屋。石室が森の中にひっそりと佇んでいます。中には薪ストーブもあり、もちろん泊まれます。
こんな感じで、雪渓の上を歩いて登って行きます。このゴルジュは雪渓が無くなると高巻しなくてはいけないので、なかなか厄介になる場所です。
途中、木が根こそぎ崩れ落ちていました。ここ最近で崩れ落ちた様子でした。
ルートは1ピッチ目に脆い壁を少し登り、あとは這松と草付きの稜線を登ります。難しくは無いのですが、とにかく全体的に岩が脆いので、全てのホールドをチェックしながら登る必要があります。灌木も例外ではありません。意外と神経を使いました。
この日は頂上もガスの中。今回は始めっから最後までほぼガスの中でしたー。


途中で見かけたツクモグサ。もうすぐ咲きそうです。ガスで景色はあまり見えませんでしたが、足下に咲く花で一息つけました!



























今回の1枚。
砂漠の中にあるクラックパラダイス「インディアン クリーク」。ジャミングを覚えた場所であり始めてカムでフォールした場所。此処で仲間と遊んだ時間は良い思い出しかありません。またみんなで行きたいです。

2017年5月22日月曜日

Vol73.カナダでスキーパトロールをするには?カナダでパトロールをしてみませんか?

カナダでパトロールをしてみませんか?
今回の記事は秋山が担当します。

現在の私のメインの仕事は山岳スキーガイドですが、2005-06シーズンからバンフ近郊のサンシャインビレッジでスキーパトロールという仕事もやっておりますので、今回はカナダのスキーパトロールというを紹介したいと思います。

そもそもスキーパトロールは何をする人たちでしょうか?
1. 怪我人の手当、山からの搬送
2. コース内の標識、境界ロープなどのメンテナンス
3. 雪崩コントロール(爆破、スキーカット)
4. コース自体が滑るのに適しているかのチェック
5. リフトやゴンドラが故障したときのレスキュー
6. 迷子の捜索

などなど、一言でいうと”山の安全”を担当する人達ですね。

では、このパトロールカナダでなるにはどんな資格が必要でしょうか?

1. 働くための就労ビザ(移民、ワーホリ、会社からのスポンサービザなど)
2. 80時間のファーストエイド
3. スキーの技術
4. 英語力

これだけです。ただ海外から来る場合1のビザの取得が一番難しいでしょうね。その次は2のバーストエイド、2週間みっちりと英語でファーストエイドの授業を受けて、最後の試験に受からないと資格が取れません。4の英語力も必要です。パトロール間のやり取りは無線ですので、無線越しでの英語、中々聞き取りづらいです、あと怪我してわめいている人を落ち着かせたりするのも必要ですしね。私は子供(4歳以下)の対応は未だ苦手です。彼らの英語はやはり赤ちゃん英語なのでなんか聞き取りにくいんですよね。

いろいろな関門を突破して見事パトロールになるとどんな1年、1日を過ごすのでしょうか?
サンシャインを例に取ってみましょう

パトロールの1年
前年の4月 ハイヤリングクニックと言われる実技テストを受け採用内定をもらう
10月末 スタッフトレーニング&コースセットアップ
11月中旬 スキー場オープン
5月末 スキー場クローズ
6月頭まで スキー場クリーンアップ

こんな感じで約7ヶ月スキーシーズンがあります。
さて1日は

パトロールの1日
7時半出勤
8時15分-30分 モーニングミーティング
9時-16時半 スキー場営業
17時 スイープ
18時帰宅

自宅からのドアtoドアで約11時間、家をあける計算になります。

パトロールの時給
これは日本から比べると格段にいいと思います。私のいるアルバータ州の最低時給が現在13ドルちょい、2018年秋までに15ドルまであがるので、最初の年でも15ドルほど。1年に1度大体昇給しますので、16-20ドルぐらいの間の時給に皆がいることになります。
一日の労働時間は9時間、9x16ドルx5日x4週= 2880ドル。税金も引かれますが約25万ぐらいは稼げることになります。
エントリーレベルでこの金額ですので、スーパーパイザーやマネージャーになっていけば、もっと貰えるわけなので、いっぱしの仕事として考えても良いでしょうね。

パトロールになって良いこと
たくさん滑れる
怪我人の処置がうまくなる
ダイナマイトを投げられる
資格をとらせてくれる(CAA LevelやLeve2)
他のリゾートでも使えるシーズンパスがもらえる
家族分のシーズンパスがもらえる
スキー関連のグッズが安く買えるアカウントがもらえる

などでしょう。
ぶっちゃげ生涯の仕事としてスキーパトロールが辛い気がしますが、ガイドや看護師、救急救命士へのステップアップ、学生を卒業してサラリーマンになる間の楽しみ職業としてなど、カナダではパトロールという職業は人気があります。

パトロールの仕事 スタックしたモービルを掘り起こす
パトロールの仕事 リフト故障時のレスキュー
パトロールの仕事 ファーストエイドの練習
パトロールの仕事 急斜面でのソリを降ろす練習
パトロールの仕事 ヘリにバックボードを入れる練習
パトロールの仕事 ダイナマイトで雪崩コントロール
パトロールの仕事 クローズ後のスキー場で遊ぶ
パトロールの仕事 朝一のリフトに乗る
パトロールの仕事 竹を使って境界線を作る
パトロールの仕事 ソリ搬送の練習
パトロールの仕事 雪崩コントロール
パトロールの仕事 スキーカット
パトロールの仕事 シーズン頭は地道に踏み固めてベースを作ります 
パトロールの仕事 雪を少しでもキャッチ出来きるようにフェンスも張ります
パトロールの仕事 ゴンドラが故障した時用のレスキュー練習
パトロールの仕事 暇な日はビーコン捜索の練習
パトロールの仕事 Red&Whiteパーティーは毎年恒例のパトロールパーティー
雪崩犬も仲間
パトロールの仕事 一般の人に雪崩ビーコンの使い方をレクチャー
サンシャインのシーズンエンドパーティーは毎年豚の丸焼きBBQ

2017年5月16日火曜日

Vol.72 春の穂高を滑る


ご無沙汰しております、育児の鬼・カネイワです。

去るGWは妻の両親が上京し我が子を可愛がってくれたので、その間2日ほどではありましたが山へ出かけることが出来ました。そうです、涸沢であります。

こちらの奥に写っているのは仲間の Taboo 氏が青春時代を過ごした涸沢小屋です。今回は深雪を割って歩くラッセル馬・モーゼ、強くて賢い安曇野女子・AKさん、そして私の3人パーティでテント泊でしたが、夜の帳が下り小屋に明かりが灯り始めると、涸沢小屋の宿泊客が羨ましくなるほど素敵でございました。

そんな自分を偽るため、「衣食住全部担いでやるのがオレのヤマだ」なんて昭和みたいなことを言ってみるものの、そんな空気の振動はただ虚しくテントの壁に吸収されるのでありました。


ともあれ入山です。恥ずかしながらGWの上高地は初で 涸沢に泊まるのも初めてです。穂高には昨年2度滑りに来たものの、いずれも2月、3月の人がほとんどいない時期でした。その時はそれぞれ白出のコルから涸沢奥穂から扇沢を滑りました。

人に会いたくないから山に入るわけではないですが、もともと社会不適合者気味の私は、そもそも人が多い所が大嫌いで、よってGWの涸沢などは通常選択肢には入りません。

今季は一度も穂高方面に来ていなかったこと、この時期2日で滑りを楽しめる場所が限られていること、滑りたいルートがあったこと等から、意を決して涸沢行きを断行したのであります。


こちらが河童橋から見た奥穂とその山頂から岳沢に落ちる扇沢です。この時期途中に黒い岩が露出していますが、真冬は真っ白で美しく、そして威圧的な斜面になります。一時期ここでパウダーを当てることを夢見ておりましたが、標高、斜面の向き(南面)、風、地形的なリスク等を考慮すると、これをやるにはライフがもう1つくらい必要だという結論に至りました。

なお、この沢はかつて北穂の小屋番だったレジェンド・次田氏によって初滑降されているそうです。
今回は初日に横尾経由で涸沢入りし、初日にどこかを滑り、2日目にここを滑って帰ることにしました。


山スキーでは基本アプローチにおいてもスキーを使うのがベストですが、さすがに5月では板とブーツを担がざるを得ません。横尾の橋を越えて雪が見え始めてから、ようやく板を履き、スキー歩行に適した場所を探して沢沿いを行きます。

穂高エリアがまだ滑れると言っても、観光や登山目的で来られる方がほとんどなので、沢渡からのバスでは周囲から浮きますし、荷物が多くて迷惑もかけます。河童橋を越えてからもしばらくは好奇の目に晒され、いい気分はしません。

「バカじゃないの」
「よっぽど滑りたいんだね、かあいそうに」
「転べ」

等とささやかれていることでしょう。


気にしません。

それを承知でここに来ているのですから。とはいえ、これらの声は厭世的で猜疑心の強い私の心を反映したものであり、実際には

「あの人たちどこ滑るんだろう」
「すごいね」
「いつかやってみたいね」

のような羨望に満ちた声も少しは含まれていたように思います。

しかしだからといって嬉しいとか、羨ましいだろう等という気分はほとんどなく、やはり

「皆いなければいいのに」
「人がいない山に行きたい」

という気持ちに変わりはないのです。

そろそろダークサイドに落ちそうなので、山の話に戻ります。涸沢へのスキーアプローチ、今回は横尾谷の右岸、屏風岩の基部を巻きました。デブリも多く、上部のハザードはなかなかのものです。既にかなりの雪が落ちているものの、気温が高いときには歩きたくない場所ですね。


本谷橋あたりから再び涸沢に向かう人の列に合流し、あとはひたすら沢を詰めてスキーで登っていきます。ここまで来ればもうすぐです。この日は風も少しあり思ったより快適でしたが、天気が良いため日焼けはかなりのものでした。


涸沢に着き、午後の滑りに出かけます。涸沢ヒュッテの天場にはテント村が形成されつつありました。時刻は12:30。


こちらは今回の目的の1つでありました2ルンゼ。雪付きが悪く、中間部に氷瀑が大きく露出していたため断念しました。このルートは2004年に吉田氏によって初滑降されており、私がググった限りでは他に記録がありません。

単純に滑るだけなら間違いなく隣の直登ルンゼやその途中から派生する1ルンゼが気持ちいいに違いありませんが、やはり他に記録が無い、より危険で人が少ない方に魅力を感じてしまうのが私の哀しい性癖であるらしいのです。


この日はどこかいいところを求めて登って行きましたが、昇温と共に湿雪雪崩がでろでろと下りてきたので、適当に滑って涸沢ヒュッテでお酒を戴き、たまたま遭遇したレジェンドたちのおでんをつつきました。

滑っているのは祥子さんという滑って撮れる素敵な女子


翌朝、涸沢から見た吊尾根。

こちらはレジェンド三浦氏が初滑降したというライン。昨日ヒュッテでお会いしたこの老獪なるレジェンドは、この日ここを滑ると話していたが、「必ず手に入れたいものは 誰にも知られたくない」という歌詞にもあるように、本命は他にあったようだ。

純粋かつ素朴、完全なる無垢、北海道のおおらかな大地で育ったこの俺は、「未知の要素」と単なる無知、怠惰を混同し続ける男、そう空前絶後の間抜け、トマホーク・カネイワ。海千山千の巧者たちの本当の狙いを後に知ることとなる。


我々に選択肢はあまりない。2日で下りないといけないため、この日扇沢を下りることは既定路線。
そしてあまり遅くなると日射と昇温の影響で雪崩が怖い。特に扇の形をしたこの沢は雪崩が集まるため、一日中遅くまで危険なルンゼを滑って遊ぶことはできない。
かと言って早立ちしても今度はカチカチのアイスバーンが怖いので、春のスキーは難しい。

というわけで、まずは人の多い小豆沢(ザイテングラートの横)を避け、朝のうちに短時間で直登ルンゼを詰め、奥穂山頂を目指すことにしました。

上の写真、岩に取り付いているのはこれからデナリの滑降を目指しトレーニング中の加藤氏らだったようです。


ふり振り返るとGWの涸沢を象徴する人の列ができています。
人が多いと感覚がマヒしそうになりますが、気温の高いこの時期、日射の影響を受ける斜面で長時間過ごすのは避けたいところです。


その後、順調に歩いて9時に奥穂山頂へ。扇沢の雪質を確かめたり、2ルンゼや西面の密かに狙っているラインを偵察したりして小一時間ほど山頂で過ごしました。


こちらが帰り道の扇沢。山頂からまっすぐのラインは先が見えない怖さがあります。


プロたちがきたあの向こう側に2ルンゼの入口があります。


さあ、滑ります!

扇沢の大斜面。以前はスキーヤーズレフト側を迂回しましたが、今回は雪も緩み、まっすぐ気味に滑降できました。


途中2度集合した後、扇の要を過ぎてルンゼ状の地形に入っていきます。

扇沢は南西~南東向きの広い斜面を抱える巨大な沢。しかもその場所で発生する雪崩もここに集まってきます。この日も例外ではなく、ジャンダルム方面から来る湿雪が沢心に小さな川と溝を形成していました。


そして来ました、湿雪雪崩。


この時発生した湿雪雪崩の一番近くにいたパートナーのチャイ PRO (チャイナで作られた GO PROっぽいカメラ)が、安物の SD カードにこの出来事を記録していました。


この動画を記録したモーゼがいた前後にある安全なポイントで待機していた私とAKさんは、これを冷静に?見ていました。

上にいたAKさんは早くからその存在に気づき、大声や警笛で知らせたものの、滑走中のザーザー音で本人には直前まで届かなかったようでした。結局、直前に私の声と雪崩の気配をほぼ同時に感じ取ったモーゼは、直前にこれを回避することができました。

雪質、気温、日射、地形、リスクに晒されている時間、諸々を考慮しても読み切れず、自然に負ける時がある。特にこの日は気温が高く、快晴。午前中でも関係なく雪崩が起きていました。

この時期のルンゼ滑降はリスクが高い、と再認識させられた出来事でした。


そうして我々は最後に快適な岳沢でのパーティランと壮絶な藪スキーを経て、時として自然よりも残酷で救いのない文明の地へと帰って行きました。


こどもの日に嫁子供、ひいては新居に遠路はるばる訪ねてくれた妻の両親を放置することは、一般的には万死に値するとされ、これが広く世間に知れ渡ると社会的な死を招くことになる。これは、被写界深度が浅いせいで、せっかくの五月っぽい置物にピントが合っていない問題とは比べ物にならないほど、深刻なのです。

山への欲望を抑圧することでなんとか家庭の平穏を保ったものの、スキーシーズンが終わるこれから、次の降雪までは我慢してポイント(仮想のポイントなので、実在しない可能性もあります)を必死に稼ぐことになるでしょう。

育児の鬼に待ち受けるのは、オムツ替え、買い物、炊事、日々の通勤、そして街で他人の山行記録を SNS で見る苦行なのです。



それが自分が密かに狙っていたラインで、しかも初滑降だったりした時にはなおさらであります。

セバ谷から白出沢に抜けるこのライン、以前白出を登る際に特徴的な廊下を見つけ、誰にも言わずにこっそり宝箱にしまっておいた場所でした。

扇沢を滑ったこの日、エントリーポイントも確認し、「まだ大丈夫だろう。また今度」と持ち前の呑気さで呆けていたら、まさか御大が狙っていたとは!

当日の日程でセバ谷を滑るのは可能だったものの、横尾経由でまた歩いて帰るのは気分的に無理だったので、選択肢には無かった。よって仕方なく、また御大たちの狙いを知っていたとしても、背中に圧力を感じて滑るのは何かが違う。滑るルートは計画(計画書には一応記載しておいた)と純粋に自然条件により決めるのが正しい。

おそらく御大は額縁に入れた忌まわしいフランシス・ベーコンの絵画の裏に隠し金庫を持ち、この滑降を他の未滑降リストと共に、長い間大事にしまい込んでいたに違いない。

これは地道な調査や経験、力量の結果。残念なことに変わりないものの、なるべくしてこうなったと言えるでしょう。

「人生には、無知と自信さえあれば良い。 そうすれば、成功は確実だ」

と誰かが言った。確かになんとなく滑降いいラインをいつかなんとなく初滑降できることはあるだろう。しかし、過去の記録を知り、周到な準備を経て実行に移すよりも、確率はかなり低い。

未知の要素が減るからとかつべこべ言わずに、この夏はベルクシーロイファーと孫氏でも読もうかと考えるトマホークなのであった...!
我々が扇沢を滑った日の午後、同じエリアで雪崩により1人の山スキーヤーが亡くなりました。穂高や富士山を中心に各地にシュプールを刻んだ方で、前日に上高地で会ってご挨拶したばかりでした。氏の生前のご活躍を偲びつつ、末筆ながら謹んでご冥福をお祈り申し上げます。